先週、TVで放映していた「博士の愛した数式」
面白い映画だった
実は、ピンとくるものがあった
それは、1(いち)の定義が難しいというはなし
一つと観るものが本当にい一つなのか?
映画の中では博士が葉っぱを拾って一つだとし
それを、手のなかで砕いて見せた、もうその時点で一つじゃない
本当に、一の定義は一番難しいと
そして、大切なものは見えないとういう
法則
私は、その時思った
私を数えるとき、一人という
私のカラダは一(いち)である
隣の人と同じではない、いちである
何を隠そう、このいちの中で大調和をしている
隣の人と調和していない、私のいちとして調和している
(奥深いところでは、つながっているのだろう)
これをいちとしてみることがキーポイント
カラダのどこかが都合が悪いとする
普通、その部位をさがし、治そうとする
しかし、全体の調和からすれば、いちの一部なのだ
いちをみないで、一部だけを治そうとしても無理がある
病気は調和が崩れた状態なのだ
だから、どうにかして調和を取り戻せばいいのだ
私の、事業(リフレッシュ操体)は
操体法、びわ療法、有機ゲルマニウム療法、食養生(陰陽法)です
すべて、バランスを取っています
傲慢かもしれませんが、願いをこめて「スーパーバランスマスター」と
名づけたのです
難しい話で、申し訳ないです
でも、本当にぴんときたのです